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ごめんね、
またもや長いことあいだあけちゃったね

「このごろロクデナシ君からたよりがなくて
さびしいです」
なんていう、もうしわけないような、うれしいような
おたよりをいただいて、一念発起、

さあ、続きを書きましょう


前回、食い物談義をやったけど、もういいよね

やっとユメのアフリカに着いたんだから、
少し話を進めて行こう!

というわけで、アフリカはチュニスに着いた
ロクデナシ君、


活動開始!




ーーー$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$ーーー

第二十七話 : ひさびさピンチ!ロクデナシ君、の巻

ーーー$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$ーーー




たしか、第四話あたりで、チュニスの路地裏、

それこそいまにもアリババがペンキの入った缶もって
でてきそうな狭い路地を歩いてた


東南アジアでも、中近東でも経験したことない
不思議な世界でね、

もう、うれしくってワクワクしながら毎日歩きまわってたよ

だって、ユメにまで見たアフリカだしね




ただ、このチュニジアやアルジェリア、エジプトといった
北アフリカの国々は、いわゆるアラブ系の国でね


もっと南のモノホンの真っ黒なアフリカとは
ずいぶんちがうんだよ

人々も、文化も、くいものも、雰囲気もね


うん、
食い物っていえば、
このあたりでよく食べたのは、第一にクスクスだね


知ってる?クスクス、

このごろはアメリカでも(たぶん日本でも)ちょっと
こじゃれたスーパーなら売ってるんじゃないかな

仁丹くらいのちいさなつぶの白い穀物のようなものに

肉と野菜を煮込んだシチューみたいな汁がかけてあるの



あれ、実は穀物じゃなくて、小麦粉を練ったものを
小さい粒にしてゆでたものらしいね

で、これはうまかったね、
このあたりでは一番安いし



よくおぼえてないけど、
一皿1ドルくらいだったんじゃないかなあ。。。



あとチュニジアによくあったのは、
なんていうのか知らないけど、チュニジア風チキンライス

日本のチャーハンみたいに盛ったちょっと油っこいごはんの中に
ニャートイ(鶏のこと、インチキ鹿児島弁)の切り身が入ってるんだよ



これもおいしいけど、すぐ飽きたな。
おいらはクスクスのほうが好きだった

ほかにもいろいろな食い物があったはずなんだけど、
忘れちゃったなあ。。。


だいいち、食い物談義はしないはずだったんだよ、今回は!



さて、チュニスから南に向かってヒッチハイク開始!


ヒッチ自体は非常に簡単だったよ

ふつうに停まってくれるんだ、車が、道ばたに立ってると(倒置法)


で、ケルアーンとか、ガフサとか、ガベスとか、、、




ああ、もう忘れちゃったなあ、
街の名前さえ出てこないや



でも、砂漠っぽいなかにぽつりぽつりとオアシスがあって、

それぞれ雰囲気が違う街ができていてね、



かならず、スークっていう旧市街(アリババふうのね)があって、
マルシェっていう市場があって、

羊がいっぱいいて、
街中がなんかヒツジ臭いんだ




で、意外なことにローマ時代の広大な遺跡が
あちこちにあるんだよ


それこそ、ローマのコロセオ(コロシアム=大競技場)みたいなの
さえあってね、歴史好きにはたまらないだろうね



カルタゴの遺跡はけっこう感動したね
おいらもカルタゴの名前くらいはきいたことがあったから



観光客なんかあんまりいないから、
ひとりっきりで雰囲気に浸りきることができて、



なんかローマ時代の戦闘風景が想像されたりして



しかも壮大な建造物がめちゃくちゃに壊れて、
草に埋もれているかんじが、なんかあわれをさそうというか、


みょうにしんみりしちゃったりして。。。




なんか、今回、やけにまじめだよね


読者の皆さんが退屈するといけねえから、
はずかしい話しをしちゃおっか!




チュニジアやアルジェリアではオレンジがものすごく
いっぱいあって、安くて、おいしいんだよ



だから、ついつい食べすぎて、
なんかいつもおなかが具合悪くてね




名前もおぼえてない南チュニジアのどこかのまちで、

船に乗ってすぐちかくの島に行ったんだよ
ちょっと観光地風のね





で、チュニジア人の若者二人と仲良くなって、
島を案内してもらって
歩いてまわってるうちにお腹いたくなってきちゃって。。。




で、もうすぐかえりの船のでる港まできたんだけど、
もう最後は早足で、おしりひきしめて歩いてたくらいで



船着き場近くの食堂が見えた時はもう走ったね


いま考えれば、もっとはやくヒトケのないところで
道ばたのヤブにでも入って用を足しちゃえばよかったんだけど、



もうヒトケの多い所まで来ちゃったからしょうがない




で、その食堂に入っていって、トイレに走り込んだら!

あの、、、
個室というか、


まあ、有り体に言ってしまえば、
うんこするところにカギがかかってやがるんだよ


オイラはあのときほど絶望的な怒りにみまわれたことはなかったね!!!




だって、もう
ちょっと出はじめてるんだぜ



このたぎるようなほとばしりを!


おいらの肛門(ツーケの穴のこと、え?知ってるって?)は、


けなげにもいままで守り続けてきた肛門はあああっ!




こ、これいじょう、
いつまでこらえろと言うのかああああっ!


「ああ!どうしよおっ!
おかあさあああああああああんっ! と、おとうさああんっ!」(東海林ださおふう)



そこな、クソチュニジア人めがああっ!


だいじなところにいっ!
カギかけるんじゃねえええええっ!




大日本帝国軍人に対して(だれだよ)
なんだあっ!この仕打ちわあああっ!






さあ!

ここで問題です

このときわれらがロクデナシ君はどうしたでしょうかっ!?






ああああっ!
だめだ!
とてもいけねえっ!

あんなこと!

とても書けやしねえっ!





あんなこと書いたらっ!

もうぜったいだれも読んでくれなくなるううっ!




と、いうわけで、次回に続く

(なにがあったかどうしても知りたい人は
個人的にメルできいてくんなまし)




最後まで読んでくださってありがとうございました





拍手[5回]

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なにぃ!?
もっと早く出せだってえっ!?

こりゃまた失礼いたしましたっ!(シャボン玉ホリデーふう)

なるべく頻繁に更新しようとしているのですがね、
ちょいと一身上の都合ってヤツでね、おそくなっちまいましたよ
楽しみにしてくださっている方(いるのか!?)
ほんとにごめんなさい



さて、第二十六話ですが、何件かご質問をいただきましたので、
それにお答えするかたちで今号はいってみたいと思います


その質問とは!

食いもんのことなんです

つまり、行く先々でどんなものを喰っているのか?
というご質問です

お答えしてみたいと思います(つまりネタ切れか!?)


さあ、それでは、行ってみよお~ッ(いかりやふう)





ーーー$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$ーーー

第二十六話 : ロクデナシ君の食い物談義、の巻

ーーー$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$ーーー





さて、食い物であるが!(えらそう)


タイやインドの食い物に関しては、
もうイヤッてほど書かれてるから
ここではくりかえしますまい


インドではもちろんカレーを毎食食べるんだけど
(繰り返してるじゃないか、オレ←ひとり突っ込み)

もうあらゆる種類のカレーがあるんだね。
うまいよ、どれも。
とくにオイラはキマカレー(ひき肉入り)か茄子のカレーが
好きだったね



でもさあ、
オイラは、日本のカレーが結局世界一うまいと思うけどね


あとインドの喰いものでいいのはサモサ(じゃがいもつぶしたのを春巻きの皮みたいので三角に包んで揚げたもの)だね
おやつがわりにもなるし
だいすきで毎日喰ってたなあ。。。



あと、印象的だったのはアフガニスタンだなあ。。。

メシじゃあねえけど、干しぶどうをよく道ばたで売ってるんだよね



ある日ね、カンダハルの街だったと思うんだけど、

いかにも昔キャラバンが通ってた、ってかんじの
宿場町でね

街道沿いにほそながくできた街なんだけど、
ほこりっぽいんだ


つめたい風がびゅーびゅー吹いててね

けして嫌な街ではなくて、
じっさいおいらは大好きだったんだけど、

なんだか長居は
してられないような、

さあ、もうつぎへ行かなくちゃ、みたいな


腰がおちつかなくなるような
妙な気持ちになっちゃうんだよ


あれがきっと宿場町の宿命ってヤツなんだろうな



その街角にひとりのアフガン少年がチンケなつくえをおいて
なんか売ってるんだよ


みると干しぶどうでね


片手の手のひらにはいるくらいの小さなヤマにして
売ってるんだ


で、喰ってみよう、って思って、
値段いくらかわかんないから、てきとうなコインをわたすと
その少年は手でさわって、っていうか、

なでまわしてからおつりをくれたんだ

そのおつりのコインもていねいになでまわしてから
渡してくれるんだよ


なにやってんだろー?

っておもってたんだけど、
そのあたりでやっと気がついた


その子は盲目だったんだよ

見えねえからコインをさわって判別していたんだね



で、
こういうことが出てくると


アジアの貧困はすさまじい、
とか、

アジアの少年ははたらきものだ、
とか、

アジアの子供たちは貧しいが
目が輝いている、
とか、 

それにひきかえ日本の子供たちは、
とか、

提灯だの、
手水鉢だの、
蜂の頭だの、(
古今亭志ん生ふう)


くだらねえコメントしたがるヤツが多いけんどもよお、


じっさい、本屋に行くと
そういうありきたりのむなしいコメントならべたてただけの
くっだらねえ本が多いけんどもよお、


そんなことしか書けねえヤツらに
一言アドバイスさせていただく!



「おしりのまわりはクソだらけだああああ〜〜〜っ!」



でもその干しぶどうはほこりっぽくて、
はるかなあまさがあって、
わすれられない味だった



それ喰いながら
「ああ、オイラはなんかとおくまできちゃったなああ」
って、つくづく思ったのをおぼえてるよ




あと、アフガンではもちろんシシカバブだね

だって、それしかねえんだもん

羊の肉を串にさして焼いた例のヤツ

で、それはみんなも知ってるだろうけど、
もうひとつカバブのバリエーションがあってね


シシカバブの肉を串から抜いて、
それを小さなアルミのナベでちょっと煮てから
タマゴでとじたやつ
カバブのタマゴとじアフガン風


これはうまかった
カライカバブ、っていうんだよね
ぜんぜん辛くないけどね


カライ、ってどんな意味なんだろうね?
タマゴかな?ナベかな?

でも名前もおぼえやすいし、オイラのお気に入りだった

それをナンっていうひらべったいパンといっしょに食べるんだ

毎日喰ってたなあ。。。


だって、それしかねえんだもん



それから、アフガンでは、それまでのインド、パキスタンと
ちがって、お茶が独特でね


インド、パキではごぞんじのミルクと砂糖たっぷりの
あま~~~いミルクティーしかないんだけど

(それもインドの列車駅では素焼きのちいさなカップに
入っててね、
飲み終わるとみんなそれを線路に投げつけて叩き割るんだよ
なんか、それが粋でね、
うれしくってオイラもがんがん叩き割ってたよ

でもさ、オイラがガキのころは日本でも
汽車の駅で買うお茶は安っぽい陶器製だったのをおぼえてるよ
かわいいフタがついててね、それに注いで飲むんだよ
じじーのみなさん、おぼえてる?
それがやがてペラペラのプラスチックにとってかわられ。。。)



アフガンではちいさな急須にはいってでてくるんだよ
けっこう量はたっぷりあるし、
日本っぽくてうれしかったねえ


砂糖は入ってなくて自分で入れるんだ

それに紅茶だけじゃなくてなんと緑茶もあるんだよ
名前は忘れちゃったけどね

だからますます日本茶みたいでさあ。。
しかも値段はめっちゃ安いしね

アフガンはホントによかった



アフガンの人ってさ、

インド人みたいにべたべたしないし、
イラン人みたいになんか売りつけよう、
みたいなかんじがないし、
(ちょっと偏見。イランよ、ゆるせ)


けっして愛想はよくはないんだけど、
いい意味で誇りたかい、っていうか、
毅然としてるんだよね

カッコイイよ、すごく

そんなわけで、おいらはアフガン贔屓だね
抱かれるならアフガンの男だね!
(いや、抱かれたくねえけんどもよお)



でもね、オイラがアフガンでてから数ヶ月後に
当時のソ連のクソヤローどもがアフガンに侵攻して、
ヘラートの街で600人が殺された、
なんて新聞記事をイランで読んだんだ


あの、ちいさな、平和でしずかなヘラートで
600人が殺されたっ!?

怒りで震えたよ


あれ以来アフガンは内戦につぐ内戦で
めちゃくちゃになっちゃった

まったく!
超大国ってやつらは!!!



征露丸、飲んじゃうぞ!
(え?正露丸だって?
知ってるよ、そんなこと)


あのとき干しぶどう売ってたあの子は
きっと生き残れやしなかったろうなあ。。




だいぶ話がそれちゃったね。

そのつぎのイランでは何喰ったか、
あんまりおぼえてねえや

なんか、長くなっちゃったね

今回はこのへんでやめとくか


ごめんね、あんまり食い物のこと
語ってないよね

この続きはまた次回にね



ねえねえ、

いつも読んでくれてホンっトにありがとね

もしよかったら、一言でいいからなんか書いてね

それがいまのオイラの生きていく糧なのさ

拍手[8回]





こんにちは
調子はどうですか?


みなさん、あいかわらずお忙しいでしょうね

でもね、みなさん、「忙しい」という字は
ココロ(リッシンベン)を亡ぼす、と書きます
忙しい毎日の中に、ひととき、静かな時間を
もちたいものですね
(ロクデナシ、こころの教え)





などと、抹香くせえことを言ってるひまがあったら
はやく更新しろよ!このロクデナシめが!

などと怒ってしまったあなた!






そんなあなたが、ス、キ。

。。。。。


すみません
もう深夜なものでちょっとアタマが暴走気味なの


さあ、キムチのあとのアメ玉のように
気持ちを切り替えて、


いよいよ、

アフリカだあああっ!








ーーー$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$ーーー

第二十五話 : アフリカの土を踏んだだぎゃあ、の巻

ーーー$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$ーーー



さあ、

いよいよだ!
いよいよアフリカだ!


勇んで船に乗り込んだロクデナシ君、
興奮に胸が躍る。
こんなに興奮したことあったかなあ。。。

っていうぐらい


で、船中、ひさしぶりに食べ放題のパンでお腹がいっぱいになって
大満足のロクデナシ君であった

そのときのことは、第一話、第二話あたりに書いたから、
ご面倒でもご参照くださいましたら光栄でございます
(やけに低姿勢、もちろん表むきだけ)
(どうせ参照するようなヤツぁ、ひとりもいねえだろうし
 →ロクデナシ君、こころの声)



ついに船がチュニスの港についたとき、
オレの興奮は最高潮に達していたね


タラップを降りる足が冗談でなくふるえていたよ


で、タラップの一番下の段まできたとき、
次の一歩が!

ついに!ついに!

アフリカの土を踏むんだ! ってとき、

足が動かなくなっちゃったんだ


へんな言い方だけど、、、
足の踏み出し方を忘れちゃった、っていうか。。。


立ちつくすことしばし


で、なんとか気をとりなおして、
ようやく足をふみだそうとしたとき、

迷いが生じたのだったあ!

おれは右利きだからふつう右足から行くだろう
だがしかし!

ことは一生のユメがかなう瞬間の問題なのだっ!


左足がかわいそうじゃないか!

いままでおれは右足だけで生きてきたのか!?
左足にも同じようにお世話になってきたじゃないか


ここで考えもなく策もなくあたりまえのように
右足から行くことは、つまり、


生涯のユメがかなう瞬間の栄えある一歩を左足に与えずに終わってしまう!!!
ということになる!



あああっ!
できないっ!
オレにはそんな残酷なことはできないっ!!!


このひとりのすてきな好青年の心の中で

このような高尚な葛藤がうずまいていようとは、


ツユ知らないばばあが!

タラップ上のおいらを
いきなりうしろからつきとばしやがったから
たまらない!

いっしゅん、ロクデナシ君のからだが宙に舞った!

宙を舞うコンマ3秒のあいだにロクデナシ君の
コンピューター並みの頭脳が火を噴いたあっ!
て、火は噴かねえけどよ。

結論は出たっ!

不公平なく!
(このあたり福本伸行著「黒沢」ふう)


ロクデナシ君は、コンマ3秒後に
両足そろえてみごとな着地を披露したのでありましたあっ!


船員、船客、入国係官をとわず、
涙涙の大喝采っ!


これで、右足の立場も、左足の言い分も守られた。


さて、その興奮も醒めやらぬまま、
街へ歩いていき
安宿を探したんだけどね



アフリカ第一夜であるその晩は、
いまもわすれない、

"Hotel du Lion"
(獅子屋ホテルの意。ただし、これを
ホテル・デュ・ライオンと読んだら金輪際通じねえ!

オテル・デュ・リオンって読まなきゃあだめ!
だってここはもとフランスの植民地だもん!)

っていうかなりのレベルでひどい安宿に泊まったよ


もうマットレスがナンキンムシだらけでさあ。。
獅子屋ホテルなどと、盗っ人たけだけしい!

オテル・デュ・ナンキンムシと即座に改名すべし!


しかし、アフリカだ!
アフリカの夜なんだよ!
おいらになんの文句があるものか。
興奮とナンキンムシ攻撃に悩まされて
ほぼ一睡もできなかったけど、、、


それでもアフリカに日は昇る


わがアフリカのはじめての朝をむかえたのだった!




なんか、今回、イマイチ文章に冴えがないな

けど
いつも読んでくれてホントにありがとう!




拍手[3回]

先日ある方からいただいた
「写真はアップしないのか?」
というご質問ですが、、、


カメラもっていかなかったんですよ
ですからアップできる写真がないんです

ただ、インドのボンベイにいたときに
日本からたずねてきた友人が撮ってくれた写真が
数枚どこかにあったような気がするけど。。。


見つかったらアップしますね



さて、もう間もなくアフリカです!





ーーー$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$ーーー

第二十四話 : この海のむこうは、の巻

ーーー$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$ーーー




さて、ナポリでは日本を出てはじめてのホームシック!

になるほどのひどい目にあったけんどもよお、
気を取り直してアフリカに向かうでよ

でもまだ着かない


ナポリからどんどん南下して行って、

マフィアで名高いシシリア島へ


ここからは地中海をへだてて向こう側はもうアフリカ!

さっそく、アフリカ行きの船が出ることで有名な
パレルモっていう街へ




もうここはごぞんじイタリアン・マフィアのメッカ!

石を投げればマフィアに当たる、っていう
ことわざがシシリアにはあるとおり、
(ウソですよ、ウソ)

そこらじゅう、マフィアだらけ


もうね、街歩いてると
あちこちで銃撃戦が繰り広げられてるし、


街角には死体の山、また山



街をうろつく犬も銃で武装しているというありさま!
(信じちゃだめよ!こんなヤツの言うこと!)





さあ、船に乗るぞおっ!
ってんで、はりきっていたら、


パレルモよりもっとさきに、

もうホントにシシリア島の先っちょに
トラパニっていうちいさな港町があって、

そこから船に乗ったほうが安い!
っていう耳より情報があったので、

パレルモにはさっさとオサラバさ




なにしろ、「安い」っていうのは
貧乏旅人(たびにん、と読むざます)にとっちゃあ
最強の殺し文句


「安い」ってことばを聞いたらどこだって行っちゃいます。


で、すぐさまトラパニへ




トラパニでは何日くらい船をまったかなあ。。。



着いてすぐにチケットを買ってから
4~5日はいたような気がするんだけど、
な~~んにもない街でね、

それでもひたすら
街を歩きまわってると、
だんだん町の様子が分かってきておもしろくなってくるんだよ。


そうしているうちにナポリでやられたカゼもよくなってきたしね。




で、

この日も街をうろついていたら

7~8歳位くらいの牛乳ビン底ふう厚いメガネをかけたイタガキ
(前々回論理的に説明したとおりイタリア人のガキのこと。
板垣退助のことではない)
がおれさまのあとをついてくるのに気がついた



はじめは遠慮がちについてくるだけだったけど、

おいらのやさしそうな外見に気をゆるしたのか、

しだいにふざけた態度に変わり、


しまいには!!


「チン、チン、チ~ン!、チン、チン、チ~ン!」

って囃したてはじめやがったんです。



「チン」っていうのはイタリヤ語で
きっと中国人という意味なんだろう
とすぐわかった



旅をする日本人の中には
中国人とまちがわれるのをものすごく嫌がるヤツが結構いるけど、



アジア人以外には日本人と中国人の違いなんかわかるはずないし


おいらにもよくわからないときだってあるわけで。


だから間違われるのは別にかまわねえんだよ


ただ、このガキのいかにも中国人をバカにしたような
態度にはゲロ怒った




でもちょっとまってね
話はそれるけどそういえばこんなこともあったんだよ



ずっとのちのことだけど、西アフリカはガーナっていう
国にいたときね



ギニア湾岸沿いの街々をあるきまわっているうちに、
オーストラリア人とニュージーランド人の二人連れと
一緒になったんだよ

で、そいつらと歩いていると、
ガーナ人が、「チャイニーズ!」(中国人の意)
って声かけてくるんだよ

やっぱりめずらしいからね、東洋人、アフリカでは




で、おれが何にも言わないでいると、

一緒の白人たちが、

「ノー、ノー! ヒィ・イズ・ジャパニーズ!」

(和訳:ちがうってんだよ、このスットコドッコイめが!
このお方はハンサムですてきな日本人だ、ってんだ、
わかったか!)

などとムキになって代弁してくれるわけなんだよ


で、おいらに聞くわけ


「おまえはなんで中国人って言われて怒らないんだ?」

「え?なんで、怒らなきゃいけねえんだよ?」

「だって、今まで会った日本人はみんなおこってたぜ」


こころやさしいぼくちゃんはそんなことで怒るわけがない



しかし!!!

話はいきなりシシリア島はトラパニのくそイタガキに
もどるけんどもよお、


このガキゃあはなしは別だよ


こやつめの、「チン!チン!チ~~~ン! チン!チン!チ~~~ン!」は

わがアフリカの友人たちのやさしくてすっとぼけた、
「チャイニーズ!」という呼びかけとはまったくの
別物!!!だった


いかにも中国人同胞をバカにしきったこのイタクソガキの態度に

さすが、温厚さでは日本にこの人あり!といわれた
ロクデナシ君もハラワタが煮えくり返ったのだあああっ!!!

怒髪天をついたのだああああっ!!!!





ロクデナシ君は即座に客観的に状況を把握し、

ゴルゴ13のような冷徹さで(怒髪天をついたのではなかったのか、オレ)
作戦を遂行した


その作戦とはこうだ!

読者よ!照覧あれ!


そのガキがあいかわらず、低能ぶりを発揮して

「チン!チン!チ~~~ン!チン、チン、チ~ン!」
とはやしたてながらついて来るのを確認しつつ

少しずつ、少しずつ、

気づかれないように

人気のない路地に誘い込んでいったのだ



やがてあたりには人っ子一人いなくなった。

その袋小路のどんづまりまできたとき、


おいらは立ち止まってしずかにふりかえった



それでもまだ状況を把握できていないこの低能くそイタガキは、

「チン、チン、チ~ン!、チン、チン、チ~ン!」と

うれしそうに、かつ誇らしげに囃したてているだよ


おバカさんねえ、この子ったら




数秒後、


この人種差別偏見にみちた行いに容赦のない天誅がくだり、

あわれ、低能くそイタガキは、

トラパニの路地裏で
人知れず
塵埃にまみれて倒れ伏し、
ひくひくと痙攣していたのでありました



あのくそイタガキはこれでもう

生涯中国同胞をばかにすることはないであろう





ちょっとやりすぎですよ、
ロクデナシ君。
死んじゃったんじゃないですかあ?


いいや、だいじょうぶ。

だって、言うじゃないですか、

「イタガキ死すとも自由は死せず」って。


チャンチャン。



おそまつさまでした。


いや、もちろん死んじゃいませんよ

ちょっとおどかしてやった程度ですから



そんなわけで

パッチョロガキのアジア人への偏見に対する
偉大なる闘争に完全勝利!
怒りの鉄槌は下された!!
(大本営発表)


ロクデナシ君の勝利に沸きかえるトラパニの街をあとにして、

われらがロクデナシ君は

アフリカ行きの

もう少し具体的に言うと、
チュニジアの首都チュニス行きの船に乗ったのでありました



いやホントのこと言うとね、

ナポリのカゼと
ホームシック以来、


気持ちがおちこんで、すさんでいたね



だから、一刻も早くアフリカの土を踏みたかったんだ




もうここから海一つ越えたらユメにまでみたアフリカなんだ、
もう少しの辛抱だぞ、

この船が港についたらアフリカだぞ!!!


って、

自分に言い聞かせて奮い立つロクデナシ君でした




いつも読んでくれてありがとう

読者の皆さんがこころのささえです、ホントに。

じゃあね






拍手[6回]





さて、アジアからパッチョロ
(しつこいけどヨーロッパのことです、新読者のため)
にやってきたロクデナシ君、

イタリヤで物価の高さと、
都会人の冷たさにめげそうになってますの


ローマではなにもわからないながら、
コロセオとか、若干の遺跡見物などして、

まあ、あとはローマ駅前の
偽レイバン・サングラス売りをからかったりして日を過ごしてた


銭がねえので、
「ニーゼがにーぜ」(和訳:『銭がありませんことよ』)
などと詩的かつ知的につぶやきながら、

あいかわらず、ハラがへってもレストランには入れず、
来る日も来る日も自作のつめてえサンドイッチをほお張るのみ。


あ~~~~~あっ!あっついピザが食べたいっ!
スパゲッチが食べたいよおおおお~~~~っ!
イタリヤにいるのにぃ~~~~っ!!!



などと泣きわめいているうちに、
ナポリに着いたんだよ、文句あるかよ


んでさあ、

初めのうちこそ、
ちいさな港まで行って、
「青の洞窟」なんてのを見物に行ったり、

(これはきれいだったよ、小さなボートで海に出て行って、
洞窟の中に入っていくんだよ。
もちろん中は暗いんだけど、外からの光が、
海中から射し込んできて、
洞窟内の水がしんじられないような青い色に
ひかりかがやくんだよね)
→ロクデナシ君こころの俳句、じゃなかった
観光案内


ちょっと南に下って、
ベスビオス火山の大爆発で
一瞬にして全滅!

火山灰の下に埋もれてしまったポンペイの遺跡を
見に行ったりね


それが、
なんかすさまじくてさあ、

天をかきむしるみたいな格好で絶命した人が、
そのまま上向いて硬直して残ってたり、


それがさあ、
死者に対して不謹慎だけどさあ、

それこそ、
「あっちっちぃ~~~~~~~っ!!!」
って、言ってるかんじで、


こわいんだけど、ちょっとわらっちゃうみたいな、、ね。



もちろん、おいらがそんなめにあってたら、
笑ったヤロー、ただじゃすまさねえけどよ



ほかには、

犬を散歩に連れて行っていた女の子が
歩いているまんまのすがたで埋もれていたり。。。


なんか、非常に生活感があるんだよね


街のある日の一風景をカメラがストップさせていて、
スタートボタンおせば、
一瞬後にはうごきはじめるような気がして、さ。。。




でも、青空を背景に
しずかに煙をあげているベスビオス火山が、
おいらがこどものころから親しんでいた日本の浅間山に
そっくりの美しさでね
たまらなくなつかしかったよ。うん。



まあ、そんなふうに、
はじめのうちはね、

それなりに観光らしきものをして楽しんでいたんだけど、、、


後半だね、問題は。


もうね、

まいりました、かんぜんに



言っとくけどよお、

ナポリの町自体はなかなか雰囲気もあって悪くなかったんだよ

写真でよく見るように、
れんが造りの(石造りだったかな)
ビルとビルの狭い間に、
ロープを渡して、
そこに洗濯物が干してある、っていう
これぞナポリ!っていう
例の光景も面白かったしね



ところが、運悪く
ちょうどカゼをひいちゃってね


ほかに安宿が見つからないから、
ユースホステルに泊まっていたんだけど、


アジアではなにもかもがいい加減だったユースも

さすがパッチョロでは
設備はいいけど規則がきびしくてね



門限や消灯時間に厳しいくらいは
全然いいんだけどね、、、


たまんないのはあ!

朝食の時間が済むでしょ、
そうするとね、

その晩も続けて泊まる人も
全員がとにかくホステルから締め出されちゃう


で、夕方まで閉まっちゃうんだよ

これにはほんとにまいった。。。



カゼひいてて調子悪いのに、

おまけにありがてえことには(皮肉だよ、ヒニク)

ただでさえさむ~~いのに、

つめた~い雨がショボショボ降っててさあ、



観光する元気なんかもちろんないし、

ほんとは寝ていたいのに追い出されて行くところもなくて、、、



しょうがねえから

寒いのにナポリ駅のベンチに寝転んで
ふるえながら
ただひたすら夕方の開門を待つ、

っていうわけでね、


金払って泊まってんのに
なんでこんなめにあわなきゃいけねえんだよおっ!!!


今夜も泊まるのになんで追い出されなきゃ
いけねえんだよおおおお~~~~っ!



ちきしょーっ!くそイタ公めがあっ!

もうぜったい、一緒に戦争してやんないっ!!!



なんて、
イタリヤが悪いわけじゃないけどね、

わかってんだよ、そんなことは、うるせえな。
(今回ちょっと荒れぎみなロクデナシ君)



でもね、心底わびしかったよ

あの時、、、

日本を出てから初めてホームシックにかかったなあ。。。




そのごも、もちろんたいへんなことは数えきれないくらいあったよ

サハラ砂漠で水が足りなくなって
渇き死にしそうになったり、

ジャングルの中でマラリアにかかっちゃったり、

戦争中のウガンダで
スパイ容疑でぶちこまれたり、

いろいろあったよ



でもね、

いま思い返してみると、



あのナポリのときが一番ピンチだったんじゃないかなあ。。。

っておもうんだ


すくなくとも精神的にはね。


ああ、かわいそうなロクデナシ君、


鬼のような読者の目からも、
おもわず、ホロリ。 


なんて、
うそうそっ!

鬼だなんてじょうだんですよっ!

おもってませんってばあ、
そんなこと。

ちょっとしか












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